盛田昭夫
1945年9月、井深は日本橋の白木屋デパートでラジオ修理店を創業した。 盛田は、この井深の起業を新聞で知り、手紙のやりとりを経て、井深のもとへ行くことになった。 1949年には磁気記録テープを開発し、1950年には国産初のテープレコーダーを販売した。 井深は、1950年代にベル研究所からトランジスタ技術の供与を受け、いち早くトランジスタ技術を非軍事分野に応用した。 そして1958年、盛田と井深は、社名を「ソニー株式会社」に改めた。 盛田は、ソニーの製品なら何でもいいと言っていた。
盛田は1960年にソニー・コーポレーション・オブ・アメリカ(SONAM、現在の略称はSCA)を設立した。 その過程で、当時日本では考えられなかった、アメリカ企業間の社員の流動性に衝撃を受けた。 帰国後、彼は他社の経験豊富な中高年社員に、自分のキャリアを見つめ直し、ソニーへの入社を勧めた。 このようにして、ソニーは多くの人材を確保し、他の日本企業にも刺激を与えていった。
1968年3月には、盛田が社長となり、ソニーとCBSレコードの合弁で、ソニーのハードウェアのための「ソフトウェア」を製造する会社を設立した
1971年には、1950年から社長を務めた井深から盛田が社長に就任した。 1975年には、VHSが登場する1年前に、家庭用ビデオカセットレコーダー「ベータマックス」を発売した。 1979年にはウォークマンを発売し、世界初の携帯音楽プレーヤーとなった。1982年には、ソニーとフィリップスが共同開発した新しいデータ保存方式であるコンパクトディスク(CD)そのものを搭載した世界初のコンパクトディスクプレーヤー「ソニーCDP-101」を発売した。 この年、ソニーから3.5インチフロッピーディスク構造が発表され、すぐにデファクトスタンダードとなった。 1984年には、ウォークマンをポータブルCDに拡張した「ディスクマン」シリーズを発売した
盛田は、積極的に新規事業を展開していった。 映画、音楽、デジタル技術を融合させた「コンバージェンス」の追求が、その動機の一つであった。 日本でCBSレコードと合弁会社を設立してから20年後、ソニーはコロンビアレコード、エピックレコードなどCBSのレーベルからなるCBSレコードグループを買収した。 1989年には、コロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント(コロンビア映画、トライスター映画など)も買収した。
1950年代、盛田にテープレコーダーの品質の悪さを非難する手紙を送って入社した大賀典雄は、1989年に盛田の後任としてCEOになった。
盛田は1993年にテニス中に脳出血を起こし、1994年11月25日に会長を退き、後任には大賀が就任した。